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論文集
 

今に生きる吉田富三博士の心  人間はいい仕事をするものだ

 寿

昔の話になります。

東京の岩下保氏(国語問題協議会事務局長)から、吉田富三博士に関する資料を送っていただいた。その中の会報「国語国字」七十七号「吉田富三先生追悼特輯」昭和四十八年八月一日発行の内容に感動しました。

全編に溢れる博士への惜しみない称賛と、人間愛に貫かれた博士の生涯が私の心に深く残った。

博士は生前、いい仕事をしていれば必ず後継者がでてくるものなんですよ。といわれていたそうです。(岩下氏の手紙より。)この言葉はまさに博士の生き方そのままのを現わしています。

追悼号特輯で、田邊萬平氏(元東京学芸大学教授)は博士が話されたこととしてつぎのように回想されています。

「癌研究の所長になってから、癌は死に結びつくので、癌だと患者は怯える、これではいけないという話を聞いたので、そのときなんと言われますかときいたら、私はいつもそうですけれども、人間はいつ死んでもいいのだ、いい仕事をやれば、誰かが必ず受け継ぐに決まっている。だから生きていたら、一日でもいい仕事を多くするのだ、自分はそれしか考えないということをいうと死に怯えている患者の顔が紅潮してきて、生き甲斐を感ずるような表情になる。一番大事なことを皆が忘れるから死が怖いので、一日でも生きたらいい仕事をすると、必ず誰かが受け継ぐ。

忘れられても、十年後、百年後には受け継ぐ人があるに決まっている。こう力強く言われた。」

博士はこの言葉のとおりに生涯を送った人でした。しかもこのことは、国語問題協議会の会長林武氏(画家)が博士への弔辞のなかで、「吉田さん貴方は癌の治療の黎明期に當って、貴い生涯を後輩諸氏に残しました。やがて貴方の悲願を達成する日が來ることでせう。」

林氏の言葉の通り、博士が開いた癌の科学療法の技術は、現在では素晴らしい進歩を遂げています。まさに人間いい仕事をしていれば、それを受け継ぐ人がいるのです。

また博士は、「法隆寺も薬師寺も誰が作ったか誰も知らんだろう。それが人間の理想なんだ。」と話されたということを、博士の十三回忌の挨拶の中で吉田直哉氏が話されたが、このことにも、博士の心が現れていて、私は感動を覚えます。

ただ名誉だけを追い求める者の愚を戒められる博士の目を感じるからです。

博士が逝去されて四十年。博士の偉業は益々光輝くでしょう。

(吉田富三記念館 名誉館長)