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論文集
 

橋本嘉幸先生をお偲びして
癌研究会癌研究所 菅 野 晴 夫

 橋本嘉幸さんの突然のご逝去にただただ驚き、言いようのない無常感にとらわれていました。寛永寺輪王殿
のご葬儀、告別式が終ってから少しずつ無常感も薄らいで常態に戻ってきたところです。

 橋本さんとは、がん研究で長い間ご一緒にさせていただきました。殊に、がん特別研究総括班では大変お世
話になりました。その最後の頃は、長年続いたがん特制度が変ってがん重点研究に移行することになり、今後
のがん研究をどのように進めるかが重要な問題でした。橋本嘉幸さん、豊島久真男さん、黒木登志夫さん、北川
知行さん、そして、研究助成課の太田慎一さんと相談に相談を重ね移行を円滑に進めることができました。橋本
さんが中心になって意見をとりまとめて下さいましたし、また、事務的なこともよくこなしていただきました。本当
にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。

 橋本さんは、若くして発がん研究、アルキル化剤による膀胱発がんで優れた研究をされて一躍頭角を現しまし
た。ニトロソアミンによる試験管内の膀胱細胞のがん化の際、尿素の存在が重要であることを証明された鮮やか
な実験は今でも覚えています。発がん研究は、単にがんを動物につくればよいという時代は過ぎて、胃癌、白血
病、膀胱癌等々、それぞれの目的とする臓器発がんとその発がんメカニズムの時代に入っていました。それは
人間のがんの動物モデル時代の到来を示すものでもありました。橋本さんは、この膀胱発がんの業績によって
高松宮妃癌研究基金の学術賞を授与されました。

 橋本さんに私が初めて直接お会いしたのは峨々シンポジウムに出席する東北線の汽車の中で、塚越茂さん
の紹介によるものです。峨々シンポジウムは、吉田富三先生、佐藤春郎先生が、蔵王山腹の峨々温泉で毎夏
開いておられた勉強会です。橋本さんは、ニューヨークのスロンケタリング研究所のオールド先生のところに留学
され、がん免疫の研究をして戻られたばかりでした。化学発がんの輝ける旗手が、がん免疫に挑戦されたわけ
は、私は知らないし、お伺いしたこともありませんが、がん免疫は大きい飛躍の時を迎えつつありました。一つ
は、がん非特異的免疫からがん特異抗原研究の時代に入っていました。他方、ハイブリドーマによる単クロン抗
体技術が華々しく登場していました。

 橋本さんは、この二つを結合させたがん免疫療法、すなわち、がんミサイル療法を考えられました。ミサイル療
法とは、がん特異抗原に対する単クロン抗体をつくり、それに、トキシン、制がん物質、アイソトープなどを結合さ
せて弾(ミサイル)とし、抗体(弾)がミサイルのように、がん細胞を狙い撃ちするというアイディアです。折からの
軍事的ミサイルの連想から、がんミサイル療法はがん治療に革命をもたらすものと期待されました。

 折しも、時の中曽根総理は対がん十か年総合戦略を策定し、文部省は、「バイオサイエンスの進展に基づくが
んの重点研究(バイオがん)」を発足させました。その中で、がんミサイル療法研究とがん遺伝子研究は二つの
大きい目玉でありました。

 ミサイル療法は、残念ながらうまく機能しませんでした。研究と技術がミサイル療法を可能にするほどには進ん
でいなかったのです。これは橋本さんには残念極まりないことであったに違いないし、がん研究者にとっても同
様に残念至極でありました。

 ミサイル療法のアイディアは、現在、分子標的治療に生かされています。標的分子に対する抗体治療法はい
ま最も期待されていて、新しい標的抗体薬が続々登場しています。橋本さんの先見の明、ミサイル療法は二十
年早かったのです。

 橋本さんは、がん免疫療法研究の名の下に、すぐに患者さんに免疫が使われることを心配し、基盤的がん免
疫療法研究会をつくられ、科学的研究の重要性を強調し、先頭に立っておられました。

 橋本さんの次の関心事はアポトーシスです。がんにおけるアポトーシス、これをがん治療に結びつけることを考
えられました。アポトーシスとは、細胞自身の中にプログラムされている細胞死のことです。橋本さんは、まず、
「アポトーシスの分子医学」という本を共編で出版し、アポトーシスの重要性を世に広く知らしめました。一九九五
年のことです。アポトーシスは増殖、老化などと同様に生物の根幹に係る重要な現象で、橋本さんの学問的深
さと広さを示しているように思います。

 そうです、橋本さんは、発がん、がん免疫、そしてアポトーシスとがんにとっても生命にとっても最も重要な命題
に取組み勇敢に開拓されました。

 橋本さんとの想い出はつきません。その一、二を記します。厚生省、厚労省のがん助成金の中間発表会で
は、委員としての橋本さんは広い範囲に亘って鋭く核心をついた質問をされ議場に緊張を与えていました。

 橋本さんはパイプタバコを楽しまれていました。世が反喫時代になって、多くのがん研究者は喫煙を止めまし
たが、橋本さんは、依然パイプを愛用していました。最近はそのパイプを止められました、矢張り工合が悪いから
なと言いながら。

 日本学術会議では、会員として熱心に活動されました。総会会場でもよく発言されていたし、いろいろな役をお
務めになられました。学術会議の制度が変った節目に、「第七部のあゆみ」が出版されましたが、橋本さんはそ
の編集に力を尽くされました。

 学術会議の会期中の昼食時は、弁当にも飽きて、一緒に外によく食べに出かけました。彼は、どこの何がうま
いとかよく知っていました。とりとめのない話をしながら、時にはとりとめのある話をしながら、青山辺をぶらつい
たことがとても懐かしい。

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