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論文集
 

令和4年度吉田富三賞を受賞して

 
国立がん研究センター研究所長・がんゲノム情報管理センター長 間野博行

 

はじめに

 この度は、令和4年度(第31回)日本癌学会吉田富三賞受賞の栄誉に浴し心より御礼を申し上げますと共に、福島県浅川町町長・一般財団法人浅川町吉田富三顕彰会理事長でいらっしゃる江田文男様、吉田富三記念館名誉館長の内田宗寿様、一般財団法人浅川町吉田富三顕彰会の皆様、また佐谷秀行理事長を初めとする日本癌学会役員の皆様、今回ご推薦をいただいた金沢大学医薬保健研究域医学系呼吸器内科学の矢野聖二教授に感謝申し上げます。吉田富三賞は、日本のがん研究者にとって憧れの象徴であり、歴代の輝かしい受賞者の末席に加えさせていただき身が引き締まる思いです。

 吉田富三先生は、ラットにおける肝発がんの実験中に、腹水中から後に「吉田肉腫」と呼ばれるがん細胞株を樹立することに成功されました。この「がんのモデル系」の確立が、詳細ながん細胞解析を可能にし、後の細胞生物学的・分子生物学的解析の扉を開いたと言えます。近年、患者腫瘍組織移植(patient-derived xenograft)マウスやオルガノイドと言ったがんモデルの重要性がますます注目されており、吉田富三先生のお仕事はまさに今日のがん研究の先鞭を告げるものでした。その吉田先生のお名前を冠した本賞を受賞させていただくことは誠に光栄なことと存じます。吉田富三先生の先駆的なご業績に思いをはせながら、私のこれまでのがん研究の歩みを簡単に触れさせていただきます。

 

内科研修医時代:白血病患者さんとの出会い

 私は岡山県高梁市という田舎町に生まれ、高校卒業まで18年間そこで過ごしました。小さなころから自然科学に大変興味があり、池はどうして上から凍るのか?フェーン現象はなぜ風が降りてくる地域で温度が高くなるのか?こんな事をずっと考えている子供でした。小学校に入って、ハンダごてを片手にラジオを作ったりアマチュア無線に熱中したりしていました。最初にブラジルの人と交信したときは嬉しかったですね。それで英語にも興味を持つようになりFENを聞きはじめました。ずっと、「世界は不思議に満ちている」と感じている子供でした。そのまま大きくなり1978年に東京大学理科III類に入学し、医学の道を歩み始めることになりました。

 大学を卒業後、私が内科研修医として初めて担当した患者さんのお一人は急性骨髄白血病の60代男性の方であり、特に予後不良の「赤白血病」というサブタイプでした。治療が効きにくいと予想されたので初めから大量の抗がん剤を投与する化学療法が行われましたが、約半年にわたる壮絶な治療を経た後に最終的にその患者さんは亡くなられてしまったのです。「どんな抗生剤を使っても抗真菌薬を使ってもコントロールできなかった感染症の本体は何であったのか?」と言う思いから病理解剖の結果を待ちました。

 驚いたことにその患者さんを実際に死に至らしめたものは真菌感染症でした。恐ろしいことに脳内、心筋内など体内臓器の至るところにカビが生えていたのです。その病理解剖の結果を見たとき私は、こんな抗がん剤を大量に投与する、まるで人間の耐久テストのような治療を行う限り、今回の患者さんと同じように合併症で亡くなる患者さんは後を絶たないと思いました。それぞれのがんの原因を明らかにして、その原因を押さえるような洗練された治療法を何とか研究・開発できないものかと願ったものです。いま思えば、それこそが「がんの分子標的療法」ですが、このテーマに十数年後にまた巡り会うことになるのは不思議な運命と言えます。結局、この患者さんの経験に導かれて私は血液内科医となりがん研究を生涯のテーマとして選ぶことになりました。

 

東京大学時代@:TECの発見

 東京大学医学部附属病院と自治医科大学附属病院での内科研修を終えたあと、1986年に高久史麿先生が主宰されていた東京大学医学部第三内科に入局し、血液内科医としてのキャリアをスタートしました。当時、高久先生は東京大学医学部に「分子生物学的手法による疾患研究」を導入されようとしていて、その活動の中心であった第8研究室に私は所属し、組換えDNA技術を用いた血液細胞の増殖シグナル機構とその破綻による発がんを研究対象に選びました。高久先生は第三内科の各研究グループ代表に若手の非常に優秀な医師・研究者を集めており、数十年後、その高久門下生が日本の医学・医療の中心となって活躍していらっしゃいます。高久先生は厳しい先生と周りの方から伺っていたのですが、私は大変よくしていただき、その後35年に渡るご指導を仰ぐことになりました。いま思い返しても、自分が第三内科に入局し、周りと競い合いながらがむしゃらに研究をスタートできたのは、大変幸運な事であったと思います。残念ながら高久先生は20223月にご逝去されましたが、高久先生の日本の医学・医療への貢献は非常に大きかったと思います。

 私が第三内科に入局した当時、トリ肉腫ウィルスの発がん原因遺伝子v-Srcと非常によく似たc-Src遺伝子が正常細胞にも存在する事が明らかになり、発がん機構が分子・DNAのレベルで議論できる時代が到来していました。c-Src遺伝子によって作られるタンパクはチロシンキナーゼという酵素であり、このタイプの酵素は細胞の増殖を直接制御することが示されました。実は正常細胞のc-Src遺伝子が、ウィルスゲノムに取り込まれる際に変異が生じてv-Src遺伝子となり、それが作る変異タンパクは酵素活性が異常に上昇した発がん原因分子であることが判ったのです。同様なチロシンキナーゼがヒトのがんの原因ではないかと言う予想から、新しいチロシンキナーゼの探索競争が世界中で行われました。

 私も血液細胞で重要な役割を果たしているチロシンキナーゼを同定する研究を開始しました。顆粒球(白血球の一種)を増やすタンパクとして顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)というのが既に同定されていましたから、G-CSFをマウスに注射し、造血組織で増えるチロシンキナーゼを単離するプロジェクトを考案しました。既に何種類かのチロシンキナーゼが同定されていましたので、それらの遺伝子断片をプローブとして、類似した配列を持つ遺伝子をスクリーニングしました。その結果、G-CSFを打ったマウスの肝臓で増える新規チロシンキナーゼTecを同定することに成功しました。このチロシンキナーゼはやがてBリンパ球の増殖・分化に重要な役割を持つ事が明らかになり、TecファミリーのBtkが遺伝性免疫グロブリン欠損症の原因遺伝子であることも別の研究グループから報告されました。

 

自治医科大学時代@:EML4-ALKの発見

 1989年から2年間、米国セントジュード小児研究病院生化学部門に留学の後19918月に東京大学第三内科に助手として帰国しましたが、研究に専念したい気持ちが強く、高久先生にお願いして1993年に自治医科大学分子生物学講座に講師として赴任し、基礎研究者として再出発しました。2001年に同大学ゲノム機能研究部教授として教室を主宰し、新しいプロジェクトをいくつも立ち上げました。その一つが、がんの本質的原因遺伝子を探索するというものです。

 1990年代にはがん遺伝子も多数同定されていましたから、それらの機能を特異的に抑える分子標的療法薬が作られ臨床試験が行われました。ところが、残念ながら単剤で患者予後を改善できる薬剤はほとんどなかったのです。私は失敗の理由が、これら薬剤の標的タンパクががんの本質的な原因分子ではないからではないかと考えました。おそらく個々の患者さんのがん細胞はそれぞれ本質的な原因分子で生じており、それを研究で明らかにして特異的阻害剤で抑えることが必要だと思ったのです。

 そこで、実際のがん患者さんからいただいた臨床検体を用いて、その中から発がん原因遺伝子を見つける「レトロウィルスcDNA発現ライブラリー法」を独自に開発しました。2年近くかかりましたがようやくこの手法が完成し、それを用いて肺がん検体からがん遺伝子をスクリーニングしたところ、EML4-ALK融合遺伝子を発見することに成功しました。それまで白血病などの造血器腫瘍では融合型がん遺伝子が見つかっていましたが、肺がんなど一般の固形腫瘍では知られておらず大変驚いたことを覚えています。しかも両遺伝子は同じヒト2番染色体上のごく近くに互いに反対向きに並んでおり、ELM4遺伝子とALK遺伝子が同じ向きに融合するためには、両遺伝子の内部で染色体がそれぞれ分断し、中間の部分が反対向きになって繋がる「逆位」が生じないといけないことになります。このような小さな染色体内逆位も知られていなかったので、驚きの多い発見でした。

 さらに、EML4-ALKが実際の肺がんを作りうるかを証明するために、肺でEML4-ALKを産生する遺伝子改変ネズミ(トランスジェニックマウス)を作成したところ、生まれて直ぐに両肺に何百個も肺がんを発生し、EML4-ALK融合遺伝子こそがこの異常遺伝子を有する肺がんの直接的原因であることが明らかになりました。ALKc-Srcと同様にチロシンキナーゼであり、EML4と融合することでその活性が異常に増強して発がん原因となるのです。ALKは酵素ですから、特異的阻害剤を作ることが可能です。そこで上記遺伝子改変ネズミにALK阻害剤を投与したところ、肺がんは速やかに消失しました。したがってEML4-ALK肺がんにALK阻害剤が有効なことが生体で証明されたことになります。

 

自治医科大学時代A:ALK肺がん研究会

 EML4-ALK遺伝子改変ネズミの論文がある科学雑誌に採択された後、その論文が出版されたかどうかインターネットで検索したところ、EML4-ALK陽性肺がんの患者さんが「ボストンで行われているALK阻害剤(クリゾチニブ)の臨床試験に入って奇跡のようによく効いた」と報告しているウェブサイトをたまたま発見しました。そのことを日本肺癌学会で報告したところ、大阪の病院に勤める医師の方から、自分の患者も同じ特徴を持っているのでEML4-ALK陽性か調べてもらえないかと連絡をいただきました。実際、その医師の担当患者さんを調べたところEML4-ALKが見つかったのです。患者さんはインターネットに載っていた臨床試験に入ることを希望されたのでボストンの病院に問い合わせたところ、同じ臨床試験が韓国のソウル大学でも行われていることを知りました。そこで直接ソウル大学のYung-Jue Bang教授に問い合わせたところ、日本人の患者を快く受け入れてくださいました。そして大阪の患者さんはソウル大学に入院し、日本人患者1例目に対するALK阻害剤の臨床試験が始まったのです。私が2週間後にお見舞いに行ったところ、患者さんは劇的に回復して散歩ができる状態になっていました。

 私はなんとかして日本のEML4-ALK陽性肺がん患者さんを救いたいと思い、主要な肺がん臨床施設とネットワークを作ってEML4-ALKを無償で診断する組織「ALK肺がん研究会」を2009年春に立ち上げました。同遺伝子を診断する上で、がん研究所の竹内賢吾部長が中心的な役割を果たしてくださいました。約1000例の患者さんを前向きにスクリーニングし、約50例の患者さんが陽性と診断され、そのうち半数の患者さんがソウル大学に入院しALK阻害剤の臨床試験に入ることができました。その全員の患者さんにALK阻害剤は著効しました。これらの診断活動を通じて、EML4-ALK陽性肺がんは、肺腺がんが多いこと、非喫煙者または軽度喫煙者に多いこと、また若年肺がんに多いことなどがあきらかになりました。その後、20103月には日本でもALK阻害剤の臨床試験が始まり、同年4月からはEML4-ALK診断の商用サービスが開始され、さらに同年9月からは第2ALK阻害剤の臨床試験が日本で始まりました。これらの進展により、私たちのALK肺がん研究会の社会的使命は終わったと考え、2010年末でALK肺がん研究会活動を終了しました。

 

東京大学時代A:ALK阻害剤の実用化と東大オンコパネル

 2009年からは東京大学大学院医学系研究科ゲノム医学講座の特任教授を自治医科大学と兼任し、東大でも研究活動を開始しました。EML4-ALK陽性肺がんに対してALK阻害剤クリゾチニブが効かなくなるメカニズム(EML4-ALK内二次変異)を発見したことによって、第二世代のALK阻害剤開発を導きました。第二世代のALK阻害剤の中には奏効率94%といった目覚ましい有効性を示すものもあり、世界中の肺がん患者さんの救命に役立っています。さらに最初のALK阻害剤であるクリゾチニブも世界中で速やかに治療薬として承認されました。私たちがEML4-ALKNature誌に発表したのは2007年でしたが、その僅か4年後の2011年に米国でクリゾチニブは薬事承認されました。抗がん剤において、標的の発見から最終的な承認までの史上最速のスピードと言えると思います。我が国においても2012年春に承認されました。クリゾチニブが日本で承認された日は、嬉しいという感情よりも、ホッとした気持ちの方が強かったことを覚えています。

 2013年からは東京大学大学院医学系研究科細胞情報学分野教授となり、20年近くお世話になった自治医科大学の教室をたたみました。今度は研究領域を拡げ、例えば思春期および若年成人(adolescents and young adults)世代の急性リンパ性白血病に最も多いがん遺伝子であるDUX4-IGH融合遺伝子を発見したり、低分子量GタンパクRAC1のがん化変異などを同定しました。

 さらに、純粋な研究活動とは別に、東京大学医学部附属病院におけるがんゲノム医療の立ち上げにもたずさわりました。私たちはEML4-ALK融合遺伝子を肺がんで見つけ、さらにKIF5B-ALKという別の融合遺伝子も同定しました。一方ALKNPM1と融合すると悪性リンパ腫を起こしますし、TPM3/4と融合すると肉腫を作ります。さらにALKVCLと融合すると腎髄様がんを作ることが判りました。つまりたった一つの遺伝子ALKが様々なパートナー遺伝子と融合して活性化され異なる臓器のがんを誘導することが明らかになりました。言い換えれば、優れたALK阻害剤をつくればこれら異なった臓器のがんを全て治療することができるわけです。これまでのように肺がんや胃がんといった発生臓器によってがんを分類するのでなく、個々のがんのゲノムを調べて最適な治療を選ぶことが必要になってきたわけです。これこそが「がんゲノム医療」です。

 発がんに関連する数百種類の遺伝子を一度に配列解析する「がん遺伝子パネル検査(あるいは、がんゲノムプロファイリング検査)」を用いて治療を最適化するサービスが海外で始まり、日本においても自由診療で使われ始めました。日本のように国民皆保険という優れたシステムで国民の健康を守る体制の中に、がんゲノム医療がきちんと組み込まれていないのは残念だと考えて、私は2016年に東京大学先端科学技術研究センターの油谷浩幸教授と共同で、東京大学独自のがん遺伝子パネル検査「Todai OncoPanel (TOP)」を開発し、東京大学医学部附属病院においてがんゲノム医療研究プロジェクトを立ち上げました。この研究プロジェクトは東京大学医学部附属病院全体を巻き込んで成功し、やがてTOPパネルは同病院で先進医療Bも終了させ、20227月には正式に診断薬としての製造販売承認が得られました。

 

国立がん研究センター時代:C-CATの設立

 東京大学でTOPパネルを用いたがんゲノム医療の立ち上げに四苦八苦していた2016年に、突然国立がん研究センター研究所長への就任要請をいただきました。いろいろ悩みましたが、最終的には高久先生に後押ししていただき、兼務として研究所長を御受けいたしました。国立がん研究センター研究所は我が国最大のがん研究施設であり、大きな社会的責務を伴います。高久先生が東京大学第三内科を発展されたお姿を近くで見させていただいた経験を元に、業績本位で優秀な若手を集め、世界に勝てる研究所構築を目指しました。幸い研究所は順調に発展し、医学・医療分野の高被引用論文(他の論文から引用された数が多い論文)数は、日本中の大学を含む全ての研究機関内で第1位を3年間持続しています。

 私が国立がん研究センターに移動して間がないころ、がんゲノム医療を日本の保険制度に組み込む動きが正式に立ち上がり、2017年初頭に厚生労働省内で「がんゲノム医療推進コンソーシアム懇談会」が発足しました。これは数年後にがん遺伝子パネル検査を保険収載する予定に合わせて、日本にどのような体制のがんゲノム医療を構築するべきかを議論する会議体です。私はその座長を務め様々な分野の委員と熱心な議論を繰り返し、同年6月に厚生労働大臣に報告書を提出しました。

 その報告書の要点は二つ有ります。一つ目は、安全にがんゲノム医療を行える病院を指定してがんゲノム医療をスタートし、その数を漸増していくという方針です。がんゲノム医療では、がん遺伝子パネル検査によって患者さんを臨床試験・治験に導入することがあるので、臨床試験の豊富な経験が必要です。また、遺伝性腫瘍に関連する遺伝子の病的バリアントが検出された場合、それを患者さん又はご家族に適切に説明する遺伝カウンセリング体制も必要です。がんゲノム医療病院は当初111施設でしたが、20231月現在で236施設と、2倍以上に増加しました。

 もう一つの重要な点は、保健医療で行うゲノム解析のデータを集約し、国として公正に利活用するデータセンターを作ろうと言うことでした。それが「がんゲノム情報管理センター(Center for Cancer Genomics and Advanced Therapeutics: C-CAT)」と呼ばれるセンターで私が初代センター長に就任しました。C-CATはがん遺伝子パネル検査会社からゲノムデータを、医療施設からは臨床情報を安全な形で集約し、利活用する体制を構築します。2018年に設立され急ピッチで全国の体制を整えたあと、201961日に二種類のがん遺伝子パネル検査が保健収載され、正式に国民皆保険下のがんゲノム医療が開始されました。私も2018年春に東大とのクロスアポイントメントを終了し、国立がん研究センターに専念することといたしました。

 C-CATでは、一人一人の患者さんのゲノムデータから、その人に合う臨床試験等の情報をまとめた「C-CAT調査結果」を作成し病院にお返ししています。2019年の開始以来、20231月現在で47,000例を超えるデータがC-CATに集約されており、世界有数のがんゲノム医療データベースとなっています。C-CATのシステムは保健医療に組み込まれていますので、今後ともデータ急速に増加することが予想され、世界のがん医療に大きく貢献していくと思われます。

 

終わりに

 急性骨髄性白血病の患者さんに出会ってがん研究を志し、EML4-ALKがん遺伝子を発見して同遺伝子陽性肺がんの患者さんの救命に立ち会えたのは感動的な経験でした。その後も他のがん遺伝子の同定、TOPパネルの開発と臨床研究に邁進し、近年ではC-CATを設立して国の体制構築に関われたのは、医師であり研究者でもある私にとってやりがいのある仕事でした。

 私ががん研究を志した35年前と今とではがん医療も大きく様変わりしています。がん分子標的薬の進歩、がん免疫療法の医療実装、さらにがんゲノム医療の実現と、有効な薬剤も増えましたし、がん研究の成果を直ぐに臨床現場にフィードバックする体制も世界中で整備されつつあります。

 またこれから10年間で大きく変わる医療分野が「がん予防」だと思います。おそらく個人の生まれつき持っているがん発症リスクと生活習慣によるリスクの変化が具体的な数値として把握できる時代が訪れるでしょう。さらに、前がん状態から真のがん発生はどのタイミングかなども評価可能になると思われます。私自身の研究もこのような発展に貢献したいと思いますし、国立がん研究センターががん予防についても世界をリードしていける様努力する所存です。

 最後になりましたが、浅川町、吉田富三顕彰会および吉田富三記念館の益々の御発展をお祈り申し上げます。また、これまでの研究成果は、自治医科大学ゲノム機能研究部、東京大学大学院医学系研究科ゲノム医学講座、東京大学大学院医学系研究科細胞情報学分野、国立がん研究センター研究所細胞情報学分野、国立がん研究センターがんゲノム情報管理センターの皆さんや共同研究者の方々のご努力なくして成し得ませんでした。あらためて御礼を述べたいと思います。さらに、私の恩師であり、長きにわたって激励・ご支援をいただいた故・高久史麿先生に心より感謝申し上げます。そして、長年にわたって支えてくれた家族にこの場を借りて御礼を述べたいと思います。