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論文集
 

癌研究の先駆者吉田富三博士(二)       内田宗寿

 

青春時代の人生訓

 

  前号では、富三が府立一中の受験に失敗して、神田の私立錦城中学校に入学したいきさつを書きました。

  富三にしてみれば、第一希望校に入学できなかった悔しさは残ったでしょうが、錦城中学校の校訓である、個性豊かな生徒の育成の教育方針が、富三には成長過程のよき人生訓となりました。富三が後年、錦城中学校について、「個性豊かな生徒の集団で、学校の雰囲気も人間的で、人間形成に役立つ学校であった。」と述懐しています。

  因みに、この中学校の卒業者の中から、最高裁判長官石田和外、経団連会長稲山嘉寛などが出ています。

  富三は錦城中学校から第一高等学校(旧制)に合格しました。

  第一高等学校時代は、富三の人格形成に大きな影響を与えています。

  富三は後年、一高時代を回想して次のような言葉を残しています。(旧制第一高等学校時代の体験から引き出せるものは、個人的自由の体験であります。三年間という短い期間ではありましたが、あれがこの世で現実に経験し得る限りの個人的自由の極限でありました。そのことがいかに個人の回想を楽しく、豊かなものにするか。得がたい思い出であります。)

  富三の青春期は、府立一中受験での挫折を乗り越えて、錦城中学・旧制第一高等学校の教育環境の中で、人間形成の基礎が築かれています。その核心は自由、正義、博愛という思想であります。一九二三年(大正十二)年、東京帝国大学医学部医学科に入学しました。二〇歳でした。

  本郷動坂に下宿しました。

  世界の医学者吉田富三の第一歩であります。