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論文集
 

癌研究の先駆者吉田富三博士(一)        内田宗寿

 

博士の少年時代

 

吉田富三は、明治三六年(一九〇三年)二月十日、わが浅川町(当時浅川村)で生まれました。

父の喜市郎は酒造家で、明治時代の地方の人としては、よく新聞を読み、社会のできごとにも詳しい人でした。母ナオは、石城郡三坂村(現在のいわき市三和町)のやはり造り酒屋に生まれ、若くして吉田家に嫁いできました。町の困っている人の世話をする優しい人で多くの人から慕われていました。

富三は、七人姉妹の三番目の子どもで長男でした。

少年時代の富三は、萱の生い茂る城山や野原で、元気に遊ぶ子どもでした。夕方まで遊び、カラスが森に帰っていく鳴き声を聞き、那須連峰に沈む夕日の美しさを感じながら家に帰りました。又、夜になると、月や星の光を見ては、自然の不思議な力に畏怖の念を持って、自分を見つめ考える力を養いました。

明治四十二年の四月、富三は浅川小学校に入学しました。小学校時代は、勉強をよくして、成績もたいへんよく、村の人々から神童と呼ばれていました。富三は、小学校を卒業すると】東京に出ました。まだ十三歳の富三が両親と別れる時、母ナオは、「しっかり勉強して、世の中のためになる人になりなさい。」と言って励ましました。

東京に出た富三は、東京で有名な府立第一中学校の入学試験を受けました。学力試験は合格したのですが、面接の時に、東北の方言を、試験官が聞き取れず、不合格になりました。そのとき、試験官は、「君の学力は抜群だから、一年間、東京にいて、東京の言葉を覚えなさい。そしたら君は合格できる。」と言われた。けれども、富三は、水産学者の叔父さんから、「中学校で押せる教育内容はどこの中学校でも同じだ。本人が勉強するか、しないかの違いだけだ。」と、言われて富三は、神田にある、私立錦城中学校に入学しました。

 

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